青森県弘前市から車を走らせること約1時間。「コメ・米ロード」と呼ばれる道に入ると、車窓の景色が一変しました。9月初旬、見渡す限りに広がっていたのは、収穫を間近に控えた黄金色の稲穂。雲の多い空から時折日が差し、その向こうには岩木山が見え隠れしています。

これから訪ねる津軽醸造は、青森県産の米や小麦など、地元の穀物を積極的にビール造りに取り入れているブルワリーです。これだけの田んぼに囲まれた土地を走っていると、なぜ米を使いたくなるのか。その理由が少しわかるような気がしました。
向かったのは、青森県つがる市稲垣町。2025年に設立され、2026年から自社醸造をスタートした「津軽醸造」です。
約20年を経て、もう一度津軽へ

津軽醸造の代表兼醸造責任者を務めるのは、クリス・ヘインジさんです。クリスさんと津軽との関係は、ブルワリー設立よりはるか以前に始まっています。
2003年、JETプログラムで来日したクリスさんが赴任したのが、当時の青森県西津軽郡車力村、現在のつがる市でした。ここで4年間を過ごした後、クラフトビールの世界へ。醸造を学び、京都醸造の共同創業者・醸造責任者として長くビール造りに携わります。そして、自分がこれからどこで、どのようにビールを造っていきたいのかを考えた末に、再び選んだ場所が津軽でした。
津軽醸造が掲げるのは、「地酒のようなローカルビール」。単に青森でビールを造るのではなく、この土地で育つ米や小麦などを使い、農家や地域の人々と関わりながら、この場所だからこそ生まれるビールを醸すことを目指しています。
日本酒の記憶が残る、大きな醸造所

津軽醸造に到着して、まず驚いたのは敷地の広さでした。事前に連絡をしていたため、副代表の塩越遼太さんが出迎えてくれます。建物は、もともと日本酒を造っていた醸造所。そのため、現在のクラフトビールブルワリーとして見ると、とにかく空間に余裕があります。

醸造スペースへ入ると天井も高く、大型の設備が並んでいても窮屈さを感じません。タンクとタンクの間にも十分なスペースがあり、設備が整然と配置されています。

しかし、この光景が最初から完成していたわけではありません。現在使われている醸造設備は、バラバラの状態で送られてきたものを、クリスさんと遼太さんが二人で組み上げたそうです。

必要なビスなどの消耗品は自分たちで用意しながら、特殊な工具や専門的な技術が必要になるなど、自分たちだけではすぐに解決できない場面では、地元の業者の力も借りながら一つずつ前へ進めていきました。設置してみれば高さが合わず、木材を使って調整することもあったといいます。そんな試行錯誤を重ねながら、一つずつ設備を立ち上げていきました。

遼太さんの説明を聞きながら設備を見ていると、それぞれが単なる醸造機器ではなく、この場所を二人で立ち上げてきた時間の痕跡にも見えてきます。
地元の米と小麦から、ビールを造る

醸造所では、実際にビール造りに使われる地元産の米粉や玄小麦も見せてもらいました。いずれも地域の農家から直接仕入れているものです。

津軽醸造では、青森県産の米や小麦をはじめとする地域の穀物をビール造りに取り入れています。掲げている目標は、地元産原材料の年間使用比率30%。弘前からここへ来る途中で見た、どこまでも続く黄金色の田んぼ。あの風景と、目の前にある米粉がここでつながります。
「地元の素材を使う」という言葉だけなら、日本各地のクラフトビールで聞くようになりました。しかし、その素材が育つ風景を見て、農家から届いた原料を醸造所で実際に目にすると、「ローカル」という言葉が急に具体的なものになります。
津軽醸造が目指す「地酒のようなローカルビール」とは、土地の名前を冠することだけではなく、土地で育ったものを使い、その土地の人と関係を築きながら造るビールなのだと感じました。
日本酒からビールへ。酒造りの時間をつなぐ

この建物には、以前ここで行われていた日本酒造りの痕跡も残されています。日本酒の醸造タンクなどはすでに撤去されていますが、強固に設置されていた圧搾機は現在もそのまま。

さらに、かつて製麹室として使われていた空間も残っています。遼太さんによれば、将来的にはこの場所を活用して、熟成ビールにも挑戦したいとのこと。

日本酒の醸造所だった建物から、すべてを消して新しいブルワリーを造ったわけではありません。かつてこの場所で行われていた酒造りの痕跡を残しながら、その中に新しい設備を入れ、津軽の米や小麦からクラフトビールを造る。異なる酒ではありますが、この場所で「醸す」という営みが再び始まったことに、不思議な連続性を感じます。
岩木山を眺めながらビールを飲むタップルーム

醸造所に隣接するタップルームも、ゆったりとした造りです。L字型のカウンターにはハイチェアが5脚。スタンディングを含めれば、カウンター周辺だけでも10人ほどが過ごせそうです。中央には4人掛けのテーブルが2台置かれ、そのほかに酒樽の廃材を使って作られた丸テーブルもあります。

カウンターの背後は大きなガラス窓。その向こうには先ほど歩いてきた醸造スペースが広がり、窓際にもカウンターが設けられています。造られている場所を眺めながら、その場所で生まれたビールを飲めるつくりです。

そして、タップルームに入って最も目を引くのが、大きな壁面に飾られた岩木山。描いたのは、「岩木山画家」として活動する井上信平さんです。実際にこの場所を訪れ、津軽醸造のタップルームのために描いた作品だといいます。醸造所の外に広がる津軽の象徴が、タップルームの中にも大きく存在しています。
6つのタップから、できたてのビールを

ビールタワーはU字型で、タップは6口。残念ながら、この日はタップルームの営業日ではなかったためビールはつながっていませんでした。

現在、タップルームは月に一度ほど営業しており、営業日にはここで造られたばかりの津軽醸造のビールを楽しむことができます。今回は空のパイントグラスとハーフパイントグラスを前に、次に訪れるときこそはここで一杯を、と考えることになりました。

持ち帰り用の冷蔵ケースには津軽醸造の缶ビールが並ぶほか、志賀高原ビールやY.MARKET BREWINGなど、国内のほかのブルワリーのビールも置かれています。自分たちのビールだけでなく、クラフトビールそのものを広く知ってもらいたいという思いからのラインアップだそうです。もっとも、遼太さんによれば、訪れた人の多くが手に取っていくのは、やはり津軽醸造のビールだといいます。
人が集まって生まれたブルワリー

タップルームには、もう一つ印象に残ったものがありました。
ハンガーにかけられたTシャツ。そして、廃材らしき板。そこには、オープンイベントに訪れたクラウドファンディング支援者の人たちからのメッセージが書き込まれています。
開業を祝う言葉。
ビールを飲んだ感想。
二人への感謝や、これからへの期待。
決して大きな展示ではありません。しかし、一つひとつの言葉を読んでいると、このブルワリーがさまざまな人たちに迎えられてきたことが伝わってきます。

津軽醸造がブルワリー立ち上げのために実施したクラウドファンディングには328人が参加し、832万6,000円もの支援が集まりました。クリスさんはそこで、タップルームを単にビールを飲む場所ではなく、人と人が出会い、地域と外をつなぐ場所にしたいという思いを伝えています。
その言葉を知った上で、実際にタップルームに残されたメッセージを見ると、「人をつなぐ」という考えが理念だけでは終わっていないことが見えてきます。
「地酒のようなローカルビール」が生まれる場所

最後に遼太さんが案内してくれたのは、醸造所の裏側でした。
そこから見えるのが岩木山です。……のはずでしたが、このときはちょうど雲に覆われ、その姿を見ることはできませんでした。
弘前を出発したときには、黄金色の田んぼの向こうに見え隠れしていた岩木山。タップルームでは井上信平さんが描いた大きな岩木山を見て、最後に本物を見ようと外へ出たら、今度は雲の中。それもまた、この日の津軽らしい風景だったのかもしれません。

米や小麦を育てる農家がいる。足りない部品を分けてくれる地元の業者がいる。ブルワリーの誕生を祝い、言葉を残していく人たちがいる。そして、約20年前にこの土地で暮らしたクリスさんが戻り、遼太さんとともに日本酒の醸造所だった場所でもう一度「醸す」という営みを始めました。
「地酒のようなローカルビール」。
津軽醸造を訪ねてみると、その言葉が指しているのは原材料だけではないように思えます。津軽の土地、人、農業、酒造りの記憶。そして、これからここで生まれる新しい出会い。
その一つひとつをつなぎながら、津軽醸造の歴史は始まったばかりです。

【店舗情報】
津軽醸造合同会社(Tsugaru Brewing Company, LLC)
場所:青森県つがる市稲垣町沼崎幾代崎121-4
営業時間:毎月第3土曜日 15:00-21:00
アクセス:JR五能線 五所川原駅または木造駅よりタクシーで約20分
HP:https://tsugarubrewing.com/
INSTAGRAM:https://www.instagram.com/tsugarubrewing/








